最高の誕生日…旅立ち

 

私が30歳の頃、

自分自身が自分の意思で自立した健康な生活がおくれる、

つまり、健康寿命は55歳だと勝手に思いこんでいました。

 

すでに3人の子供がいました。

長男が重い知的障がいがあることもわかっていました。

残り25年で何ができるか?

少しでも、私らしい生活をしたい。

いつかできるであろう自分の時間を有効に使うために

少しずつ努力もしました。

明日のために…1年後のために…5年後のために…

 

双子が生まれた時、自分時間は意識しないと一生とれないと思いました。

チャンスがあれば、自分の身の丈ではあるけれど、挑戦もしました。

そうした中で、色々な経験もし、様々な人とも出会い、

そして、少しずつ、力を付けていきました。

時間はかかったけれど、いつの間にか、行政書士になりました。

最終学歴もかわりました。

ファイナンシャルプランナーや、介護の資格も取りました。

 

そして、55歳…

30歳当時の私からは、想像もつかないほど、

記念すべき最高の誕生日となりました。

 

「あしすと絆」を一般社団として登記しました。

自分で勝手に決めた健康寿命でしたが、

しばらく延長することになりそうです。

人生、何が起こるかわかりません。

 

55歳…!

でも、心の中は、スタートしたばかりのフレッシュマンです。

明日に向かって頑張りたいと思います。

 

健康寿命は、現在のところ、

男性71.19歳、女性74.21歳だと言われています。

平均寿命とは10年もかけ離れています。

元気で長生きする…

これからは、私自身も含め、健康に気を付けていきたいものですね。

研修会の講師をして

20140221研修会2成年後見制度をはじめ、高齢者や障がい者を支援する行政書士、社会福祉士のNPOで、

研修会の講師をさせて頂きました。

いつもそうですが、専門職の人に話をするときは、

私は、利用者側の人間、つまり、障がい者の親として、お話しています。

こうした講師をするときは、どんなことを話そうか…と、思いを巡らせるのですが、

あの頃は、あんなに辛かったのに、

すっかり思い出、それもけっこう美しい思い出になっていて、

我ながらわらえたりします。20140221研修会写真.jpg

それでも、全く障がい者のことを知らない人からすると、

びっくりされることも多いようです。



障がい者家族と専門職…                       

どれだけのいい出会いを作ってあげられるか?

頑張っていきたいと思います。

あしすと絆の居場所ができました

娘の夢をかなえる小さな花屋さんのできる家・・・

やっと見つかりました。

自宅から歩いて15分くらいのところです。

こんな近くに、いい場所が見つかるなんて、びっくりです。

これからの私の目標は、

娘の花屋のそばに、障がい者支援事務所を作っていくことです。

障がい者、そのご家族が、困ったなぁとおもったら、いつでもドアを叩ける。

もちろん障がいのあるなしにかかわらず、どなたでもウェルカムです。

 

時間をかけて、居心地のいい場所にしていきたいと計画中です。

あたたかくなったら、週に一度か二度はあしすと絆の家

ウェルカム企画をしたいと思っています。

 

どうぞ、お楽しみに・・・

研修会にて…<2>


今回の研修会の最後に話したことです。                         __sozai__/0018005.jpg

これは、行政書士試験に何度も受けながらも、

あきらめなかった私の支えとなった出来事でした。

行政書士になることを、あきらめなくて良かった。

その思いから、今回の研修会で、皆さんにお話しました。

 

・・・

 

私が障がい者家族として、必ず、実行していることがあります。          

子供たちと同じ・・・

必ず、一番に障がいをもつ家族がいることを話すことです。

はっとする人もいます。

同情してくれる人もいます。

励ましてくれる人もいます。

それはそれでありがたいけれど、話したこちらが恐縮したり、辛くなることもあります。

 

 

ある日のことでした。

 

初めて出会ったその人に、いつものように、障がいのある息子の話をしました。

その人は、近所に障がい者施設があり、彼らが一生懸命働いていること。

知り合いに障がい者のいる家族がいて、その子の成長が楽しみなこと。

たいした内容ではないのですが、にこにこ笑って話すその横顔に、

いつもと違う印象を受けました。

決して、緊張した空気は流れず、日常会話の一つとして、言葉が流れていました。

 

全然特別なことじゃないよ・・・

 

私には、そう聞こえました。

肩の力がほんの少し抜けました。

 

 

その後、その人が行政書士であることを知りました。

行政書士がとてもすばらしい仕事に思えました。

私は、その人と同じ「行政書士」になりたいと思いました。

 

 

私は、行政書士であると同時に、一障がい者家族です。

ひとりでも多く、こうした思いに溢れた行政書士の先生が

増えて下さることを心から願っています。

 

・・・

 

 

この研修会の帰り道、駅に向かうところでした。

参加者の一人の方に声をかけられました。

若い行政書士さんでした。

 

最後の部分に感動したこと…

自分もそんな行政書士になって、

皆さんに関わっていきたいと思いました。

 

そんな風に話してくれました。

気持ちを分かってくれた人がいてよかった。

話してよかったと思いました。

 

行政書士は、街の小さな法律家です。

たとえば、交番のお巡りさんとか、診療所のお医者さん

こんなイメージでしょうか?

ちょっと困ったなぁと思った時に、

気楽にドアをノックできる場所です。

すぐに解決できることもあれば、時間がかかることもあります。

他に専門家がいたら紹介もしてくれます。                 

 

法律は、弱者の味方だと思っていたけれど、               __sozai__/0004827.jpg

本当は、法律を知っている人の味方でした。                   

だからこそ、

行政書士さんとお知り合いになってほしいと思っています。

できれば、私が初めて出会った行政書士さんのような方に…      


研修会にて…<1>

10月4日

2回目の研修会の講師をさせて頂きました。

 

今回は、主催者側の計らいで、行政書士だけでなく、

社会福祉士、精神保健福祉士、保険会社の方、手をつなぐ冊子編集者など、

様々な関係の方が50人近くも来られて、それこそ、私の願う研修会となりました。

主催者に感謝感謝です。

 

相変わらず、たくさんの方の前でのしゃべりは下手なのですが、

利用する側としての思いのたけは、一生懸命伝えたと思います。

私は、いつまでたっても、障がい者の親ですから…

 

今回の研修会の一押しは、

任意後見契約と、家族信託です。

信託といえば、信託銀行と思われがちですが、

実は、ちがうのです。

信じて託す…

これは、家族ならではの信託だと思っています。

 

近いうちに、このHPで、詳しくお話しますね。

 

あなたのやりたいことはなんですか?

「あなたのやりたいことはなんですか?」

 

障がいをもつわが子との日々に戦い疲れていた時に、

障がい児支援グループで知り合った先生に言われた一言です。

 

一瞬、何をいってるんだろう?と思いました。

言葉も全く通じない、そして、元気よくずっと泣いているわが子を抱えて、

寝る暇すらありませんでした。

下の子も生まれていました。

考え直してみましたが、やっぱり、時間があったら、寝たい…

本能のままの答えでした。

おしゃれ、お化粧はおろか、歯磨きだってまともにする暇のない25歳の母でした。

死ぬまでこんな毎日を送るんだと思っていました。

 

 

すぐに意味は理解できなかったけれど、

先生の言葉は、ずっと私の心の片隅にいました。

そして、ときおり、私はこの言葉を呪文のように繰り返しました。

 

 

時が流れ、いつのまにか、息子は、夜、なんとなく寝るようになりました。

夜中起きても、あまり泣いたり怒ったりしなくなりました。

そんな時は、トイレに遊びに行ったり、冷蔵庫に入っている冷たいお茶を飲んで、

また、布団にもぐり込むようになりました。

ヘルパーさんという頼もしい味方もできました。

少しずつ、私は、動けることが増えました。

 

 

あの日から、数十年。

あの時の先生の言葉の意味がやっとわかってきました。

どんなことがあっても、自分を見失うな!

という事を伝えたかったんだと思います。

 

私は、いくつかの「やりたいこと」を見つけました。

始めは、小さなことから。

子供と一緒にハンバーガーを食べに行くこと。

子供と一緒にドライブに行って、車中で大きな声で歌を歌うこと。

庭をお花でいっぱいにすること。

パンを焼くこと。

インテリアの本を読みこと。

プールに行くこと。

友達を呼ぶこと。

だんだん毎日が楽しくなってきました。

 

そしていつの間にか私自身の時間も持てるようになりました。

大学にも行けるようになりました。

仕事もできるようになりました。

成年後見制度から始まった障がい者支援活動も始めました。

大学でも、職場でも、たくさんの友達ができました。

私は、○○ちゃんママではなく、

節子さんになりました。

 

 

障がいをもつお子さんとの毎日が辛くなっているあなたへ

その毎日は、ずっと続くものではありません。

いつかは、希望の道が見えてきます。

気づいたら、もう見えているかもしれません。

その日のために、

あなたのしたいことを考えておいて下さい。

 

 


介護職員初任者研修

あしすと絆の活動をしていると、やはり福祉部門の理解は深めることは必要です。

また、現実的には、障がい者を受け入れてくれる事業所も少ない気がします。

現場で働いているヘルパーさんたちのことも知りたいと思いました。

 

そんなことから、思い切って、介護職員初任者研修を受けることにしました。

調べてみると、いろいろな研修システムがありました。

仕事もしていて、家庭の事もあるので、できるだけ短期で済むものをと探し、

新宿のM研修の短期コースを受けることにしました。

 

メンバーは25人。

上は、私の年代から、下は10代まで・・・

年代層もきれいに同じくらいに揃っていました。

それに、一人として、なんとなく…なんて人はいなくて、熱意のある人たちだったのにも、びっくりでした。

他県から、特急で毎日通っている人もいました。

そんなメンバーですから、楽しくも、真剣な毎日でした。

 

平成25年4月から、介護事業のシステムがかわりました。

今まで、ヘルパー2級なんて呼ばれていたポジションが介護職員初任者という名前にかわり、

学ぶ内容も、少し違ってきたようです。

 

感動したのは、本人の潜在能力(残存能力ともいわれますが、障がい者の方々には、

あわない表現だと思っています)を生かす支援をすること。

そして、認知症はこんな症状、知的障がいはこんな症状、

精神障がいはこんな症状という考え方ではなく、その人その人にあった支援をしていくという考えでした。

10人の人がいたら、10通りの人生がある。その中に、お年寄りがいても、外国の人がいても、

障がいを持った人がいても…というのが、私の考え方でしたので、うれしく思いました。

介護をしてくれる皆さんがこんな気持ちで、こどもたちに接してくれると本当にうれしいです。

 

おかげさまで、25人全員資格が取れました。

中には、すでに社会福祉士とか、カウンセラーの資格を持っている人、

そして、これから障がい者に関わっていきたいと思ってくれる人がたくさんいました。

これからのあしすと絆の活動にも、是非協力をお願いしたいと思っています。

親亡き後の話…3年前の話

3年前の話です。

その日、私は、仕事先から、歩いて帰宅していました。

重い本を持っていて、バランスが崩れ、転んだ時には、

顔にひどいけがをしていました。

病院に行き、治療してもらい、念のためにと、レントゲンを撮ったところ、

ぶつけた方ではない頭部に影が見えました。

なんと、脳に腫瘍が見つかったのです。


一番に頭をよぎったのは、子ども。障がいのある子どもたちのことです。

くしくも、編入した大学の卒論のテーマは、「障がい者と成年後見制度」

サブタイトルには、「親亡き後」がしっかり入っていたにもかかわらず、

その時まで、私にとっては、全くの他人事でした。

「親亡き後の問題」が、私の目の前に降りかかってきたのです。

私は、自覚症状もなく、とても元気でした。

セカンドオピニオンとして、何軒かの病院を回りましたが、

障がいのある子どもたちのことを考えると、

腫瘍が小さいうちに手術してしまおうという私の意思は変わりませんでした。


12月に手術をすることにしました。

医者の説明では、もちろん、万が一は死ぬこともあること。

また、後遺症として、左手に麻痺が残る可能性も4割程度あるとのことでした。

 

万が一に備えて、今の私に何ができるか・・・

その時に限って、仕事に追われていました。

でも、この先、家族に迷惑をかけないために、少しずつ、家の整理をしました。

預金はまとめました。

毎日来てくれるヘルパーさんを探しました。

そのヘルパーさんに家の事のあらゆることを伝えました。

子供の下着も一緒に買いに行き、これからの買い物等もお願いしました。

そして、公正証書遺言です。

行政書士として、これだけは作っておかなければと思いました。

夫は、全く畑違いの仕事をしている人でした。

検認も、相続手続きも、できるかどうか心配でした。

人のために作っていた遺言書でしたが、自分自身のために、

公証役場に打ち合わせに行きました。

遺言執行者も信頼できる方にお願いして、遺言書に書き加えました。

子供のための成年後見人は、まだ見つけられませんでしたが、

何人かの知り合いには、これからのことをお願いしました。

もしかしたら、最後になるかもしれないと思いながら、

子供の年賀状の表がきも書きました。

思いつく限りのことをしました。

それでも、まだまだやり残したことがあると思って、

手術の前の日は、眠れませんでした。

 

わたしの思いが伝わったのか、

無事に手術も終わり、腫瘍も良性だと分かりました。

頭の半分近くの髪の毛が無くなりましたが、

かつらでごまかし、いつしか、髪の毛も元に戻りました。

 

私は、やっと分かりました。

人は、いつか死ぬのです。例外はありません。

死ぬ日だって、自分では決められないのです。

子供のために長生きしたいと思っても、願いの叶わないこともあるのです。

 

万が一のために、お子さんの生活を守ってくれる人を探しておきましょう。

時間がかかる仕事です。まだ早いなんて思わずに、

今から心がけておきましょう。

 

手術が終わったとたん、

早速私も、子供の成年後見人探しをしました。

やっとこの人だと見つけて、お願いしました。

返事は・・・?

「すいません。これで7人目なんです。

皆さんに平等にが私の考えなので、皆さんにお断りしているんです・・・」

なかなか候補者はいないようです。

 

2年後、

私のバトンを受け取ってくれる

成年後見人候補者は見つかりましたので、ご安心を・・・

研修会

活動も少しずつ実を結んできたのか、行政書士会練馬支部で、2月に研修会の講師をさせて頂きました。

今まで、障がいを持つ子供たちとあしすとメンバーとが一緒に遊ぶ会、障がい者家族とあしすとメンバーとの

おしゃべり会(交流会ですね)、あしすとメンバーのための福祉園や支援学校参観など、少人数での活動はし

きましたが、行政書士の皆さんに、障がい者とその家族のことを少しでも理解してもらうとてもいいチャンス

です。

たくさんの行政書士の方々の前でお話するのは、自分自身にもかなりプレッシャーをかけてしまったので、

当に緊張しました。

それに、話の内容も、自分のことだけでなく、子供のことも話すので、少し抵抗もありました。

でも、障がいを持っていることで、彼らには純粋で優しい気持ちがたくさん残っている事・・・

そして、私は、そんな優しい心に救われていること・・・

障がいのあるなしに関わらず、10人の人がいたら、10通りの人生、考え方があること・・・

障がいのあるなしに関わらず、その人、その人にあった支援をしてほしいこと・・・

を、少しは伝えることができたかなぁ。

今は、話してよかったぁと思っています。


おかげさまで、聞いて下さった方の反響もよく、別の支部からも研修会の依頼がありました。

そして、一般の方向けの小さなセミナーにも、講師として誘って頂きました。

やっと2歩目が踏み出せたところでしょうか・・・

 



私のもう一つの顔

私のもう一つの顔は、5人の子どもの母親です。

男の子も、女の子も、双子も、障がいのある子もいます。

バラエティに富んだ子育てができたことは、私の唯一の自慢です。

 

2000年、成年後見制度ができました。

「街の小さな法律家」としての行政書士は、成年後見制度への理解が深い方も多く、

それだけでなく、身近な相談もできる、障がい者家族の強い味方です。

私自身が利用者の気持ちになっても、お願いしたいと思う方がたくさんいます。

障がい者とその家族、そして、行政書士との橋渡しができればと思い、

さなチーム「あしすとを作りました。

自分自身の経験も踏まえ、障がいを持って生まれてきた人も、そのご家族も、

その人として、幸せな毎日を送ることができたらと思いました。

そして、そのためのお手伝いがほんの少しでもできたらという思いから、この活動を続けてきました。

ファイナンシャルプランナー、介護職員初級者の資格も取りました。

 

こうした小さな活動をしていたら、社会福祉士、介護職員、言語聴覚士、就労支援、水泳、

画の先生、和太鼓サークルなどなど、様々な支援の輪が広がってきました。

これをなんとか形(事務所=みんなの居場所)にしたいと、頑張っているところです。

これからのあしすとの活動は、”ぶろぐ”にて、皆さんにご報告しますね。

お楽しみに・・・

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